私が学生から社会人になって、私が一番戸惑ったこと。
それが「過程」ではなく「結果」にこだわるということでした。
なんだか「心」がないようで虚しい・・・そう思っていた「結果が大切」という言葉も、今思うと、むしろその逆だったのかもしれないと感じます。
今日はそんなお話を。
「結果」という言葉に抱いた「違和感」
こんにちは。
トラストコーチングスクール(TCS)認定コーチの山下イクミです。
プロフィールでも書いているように、私は大学卒業後、ダメダメ新社会人としてスタートしました。
当時必死に働きながらもたくさんのモヤモヤを感じていたのですが、そのひとつが「学校では「過程」を大切にされてきたのに社会では「結果」が大切にされる」というギャップでした。
経済社会はお金で動いているし、会社では「結果」が大切にされるのは、頭ではわかっている…
それでもモヤモヤしてしまったのは、私がその会社が好きな理由、入社した理由のひとつが「ひとりひとりをとても人を大切にする会社」だったからでした。
「結果が大切」
そう言われた時に「利益追求」のように感じて、ものすごい違和感を抱いてしまったんです。
「結果」という言葉の「先」にあるもの
・・・でも、実はそれは私の思い違いだった。
そう気がついたのは、コミュニケーションを学び、しばらくたってからのことでした。
皆さんだったら「結果が大切」と言われたら、「何」を大切にすることだと想像しますか?
「結果」とは何だと思いますか?
例えば、「結果にコミット!」とうたっている某サービスでしたら
「ダイエットをして痩せること」
「ゴルフが上達すること」
「英語が上達すること」
かもしれませんし
受験を頑張っている学生さんなら
「自分が学びたい!と思う大学に合格すること」
かもしれません。
さらに、ひとりひとりにフォーカスしていくと、
「ダイエットをして痩せることで「自信をもつこと」」
「英語が上達して「憧れの海外部門で働くこと」」
「大学に合格して「素敵な彼氏をつくること」」
と、「結果」のさらに先には、手にしたい「未来のありたい姿」が見えてきます。
そして、その手にしたい未来に「向かいたい」と思った背景には、実にさまざまな想いや経験があります。
そんなことに気がついていったとき、社長や先輩からずっと言われ続けてきた
「結果が大切」
という言葉の持つ意味が、だんだんと変わってきました。
「結果」という言葉に込めた「想い」
私が勤めていた会社は、リッツ・カールトンのサービスや在り方に共感し、お客様が「感動」するサービスを目指して行動していました。
コミュニケーションを学ぶにつれ、「結果」という言葉には、もしかして「お金」という以外の意味も込められていたのではないかだけではないか・・・
「私たちの仕事によって、お客様の中にどんな感情が生まれたのか?」
「私たちは、お客様の心がどのように動く仕事ができたのか?」
そんな問いだったのではないか。そんなふうに感じるようになってきました。
「結果」とは、こちらが得たものではなく、「相手が受け取ったもの」「相手に生まれたもの」なのかもしれないと。
その「結果」と「過程」は誰のもの?
そう考えていくうちに、「過程」の捉え方も自然と変わってきました。
それまでの私は、「過程を大切にする=誠実に行うこと・一生懸命行うこと」と考えていて、
「正直に向き合っているか?(ズルをしていないか)」「全力で頑張っているか?」という問いを多くしていた気がします。
言い換えれば「ズルして楽をしてはいけない。」「時間と労力をどれだけかけられたかが、頑張りの証になる。」という価値観のもとで、
たくさん残業をして、「これだけ時間をかけて頑張れば、認められる」と無意識に思っていた・・・
そう。つまり、私がしていた努力は「自分を認めてもらうため」の努力で、ベクトルは完全に「自分」に向いていたわけです。
・・・でも、社長や先輩のベクトルは常に「相手」を向いていた。
きっと、常に「相手が何を思い、何を感じるか」ということを考えて行動する「過程」が、自然とそこに存在していたのだと思います。
さいごに
言葉というものは
便利だけれど
とても複雑で
面白いものです。
「なんだか伝わらない」
そんなふうに感じる時は
もしかしたら
あなたの考えるその言葉と
目の前にいる相手の言葉が
同じ姿をしているだけで
違うものかもしれません。
もしかして
そこに想像力が広がることで
あなたのコミュニケーション力ももっともっと広がっていくかもしれませんね。
私の残念な経験から、
何かひとつでも発見があったら嬉しいです。
TCS認定コーチ 山下イクミ